パソコンと古文書解読

第21話 “常識”

 

右の資料は、『厳島奉納集 第二篇』(文化9年刊)から取りだしたものです。この本は、同書初篇の序によると、「わか輩、天か下に有とある誹諧の発句十万余句をあつめて、わか師篤老園主人(飯田篤老、広島藩士、1778〜1826)の撰にあて、それか中なる一千句を抽出て額上にしるし、厳嶋大明神の広前にさゝげ、それにもれたる高判の句々かくのことく冊子にあらハし、……」たものです。

蕣のはしめ終や筬朝寝 布雪

と読みました。『厳島奉納集』は版本ですから、文字自体はそれほど難しくはありません。「蕣」も「筬」も読めますが、意味が分りません。意味が分らなければ読んだことになりません。

『今昔文字鏡』で「蕣」の字を調べます。「あさがお むくげ」とあります。「あさがお」と読むと字数も合います。『漢字源』も「草花の名。朝顔のこと。」と説明しています。次は「筬」です。「おさ」と読みます。『広辞苑』によると、筬とは、「織機の付属具。経(たて)糸の位置を整え、緯(よこ)糸を織り込むのに用いる。竹の薄い小片を櫛の歯のように列ね、長方形の框(わく)に入れたもの(竹筬)であったが、今は鋼または真鍮製の扁平な針金で製したもの(金筬)を用いる。」とあります。どうも機織の部品のようです。『世界大百科事典』では図入りで説明しています。横糸を締める櫛の歯状のもので、締めるときトントンと音がします。

「蕣」と「筬」のおおよその意味が分っても、句の意味が分りません。常識のなさがここで露呈されます。困って、知人に相談すると、「アサガオは牽牛ですよ」と教えられました。『世界大百科事典』を調べると、「中国ではアサガオを牽牛(けんご),種子を牽牛子(けんごし)といっている。」とあります。『広辞苑』にも、「牽牛花。蕣花。〈季・秋〉」と出ています。「朝顔姫=(朝顔の別称「牽牛花」から、牽牛星の妻の名として) 織女星(しよくじよせい)の異名。」との説明まであります。「牽牛」なら「織女」です。七夕です。これでようやく「蕣(あさがお)」と「筬(おさ)」の取り合せも理解できました。アサガオを見て七夕を連想する江戸時代の知識人には驚くばかりです。

牽牛と織女の、年に一度のデートの翌朝、いつもなら早くから機織の音がするのに、今朝はまだ仕事に取りかかっていないようだ。庭には、もうアサガオの花が開ききっている。

「蕣のはしめ終や」の意味が、今ひとつ得心がいきませんが、「蕣の咲き始めが終わる」=「咲いてしまう」と理解しました。

布雪」については、どのような経歴の人か分りません。『俳諧大辞典』(明治書院)にも記述はありません。インターネットで検索しても出てきません。いつになったら、インターネットが“大百科事典”になるのでしょうか。その日が待たれます。

頼祺一先生の、「古文書学習は慣れ(反覆継続学習)により上達するので、……あとは独学で十分である。しかしこれで終わりというところはない。むつかしいのは読解の解″の方である。これには勉強と蓄積を要する。」(益田与一『続芸備歴史散歩』序)との言葉が肩に重くのしかかります。

 

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