パソコンと古文書解読

第28話 “辞書にない”用語

 

前回は、「御甘メ」なる用語について、辞書に載せてなく、意味も読みも解らなくて困っていたと書きましたが、このような例は珍しくありません。今回は、“辞書にない”用語の意味をどうして探るか、を考えてみます。

月日

銭相場
(壱匁ニ付)

記     事

安永4    4/1

  79文 取遣ひ、壱匁ニ付七拾九文ニ相成候由申来候
5/4 80 銭、壱匁ニ付八拾文遣ひニ被仰付候事
12/29 82 札場銭相場、今日より壱匁ニ付八拾弐文取遣候様ニ被仰付候事
閏12/2 83 札場銭相場、今日より壱匁ニ付八拾三文ニ被仰付
安永5  8/11 85 札場銭、壱匁ニ付八拾五文ニ被仰付候、
11/3 86 札場銭、壱匁ニ付八拾六文ニ相改候ニ付、
11/11 87 札場銭相場、今日より八十七文取遣候様被仰付
安永6    3/6 89 札場銭相場、今日より八十九文ニ相改申

4/25

90 札場銭相庭、壱匁ニ付九十文ニ相改申候
5/6 92 札場銭、壱匁ニ付今日より九十弐文ニ相改申候
    8/22 92 札場銭、壱匁ニ付九拾弐文取遣候様被仰付
    9/13 93 札場銭、壱匁ニ付九十三文相改候事

「堀川町覚書」(安永四年〜六年(1775〜77))の中に、銭相場の変動について、右表のような一連の記事があります。
札場銭壱匁付今日より九十弐文相改申候」の記事だけを見ると、いかにも「札場銭」という銭があるようにも見えますが、同類の記事を集めて比較検討すると、これは「札場銭相場」を省略したものであることが解ります。つまり“銀札場での銭相場”を意味します。

広島藩は、明和元年(1764)、幕府の許可を得て再度銀札(明和札)を発行し、翌年7月以降は他国交易に要する以外の正金銀通用を禁止し、銀札と補助貨幣としての銭貨のみの流通を強制しました。この時発行された銀札は、従来と同じく五匁・一匁・五分・三分・二分札の5種類で、銀札場は領内3ヶ所に設置されました。
このような状況では、記事に藩札の発行や両替を担当する「札場」が登場するのは当然です。従って、「壱匁付」とは、“銀貨壱匁付”ではなく、“銀札=壱匁札付”と読み替える必要があります。
結局、前述の記事の内容は、「今日から、銀札場における銀札と銭の両替の交換比率は、銀札壱匁につき銭92文とする」と理解することができます。

同一内容の記事でありながら、言回しが沢山あるのに途惑います。
「**文相改申候」の表現が「**文被仰付候」に変っても驚きませんが、「**文遣ひ被仰付候」になり、「**文取遣候様被仰付候」「銭取遣ひ、……**文相成候」の言回しになると、「取遣ひ」という言葉に引っかかります。

「取遣」を『広辞苑』で調べると、「取り遣(とりやり)(贈答、授受)」と「取り遣(とりやる)(取り除く)」の2つの言葉が収録されているだけで、「取遣(とりつかひ)」は見当りません。『日本国語大辞典』では「取使(とりつかう)(取って使用する)」はありました。Yahoo検索では一致する情報は見つかりませんでした。そうなると、「取遣(とりつかう)」という言葉があるのか、ないのか、もう一つ判然としません。

辞書に載せてない言葉はいくらでもあります。限られた頁数に入れるため、当然、項目の取捨選択をしています。大辞典でも、編集者の網にかからない言葉もあるはずです。(間違った説明もあるでしょう)。“辞書にない”用語の意味を考えるのなら、辞書を作る“材料(出典)”から探し出すことになります。私は、数年来、県史や市町村史、読んだ古文書などをパソコンに取り入れ、“マイ データベース”(第11話)として集積してきました。「取遣ひ」をキーワードに“マイ データベース”でGREP検索をすると、30の「取遣ひ」が見つかりました。

「寛政八辰年洪水以来、右流地之分ハ土地合今以復し不申、肥し等も余分取遣ひ候方御座候」の記事があります。
「寛政8年の洪水で流された土地は、今でも土地合は元通りにならず、肥料も余分に取遣ひしている」の意味ですから、「取って使用する(役立たせる)」という『日本国語大辞典』の説明が当てはまります。
「結納其外祝儀もの之儀、酒肴取遣ひ無用、軽く鳥目を以相互ニ取遣り可仕候事」の例文は、「結納その外の祝儀は、酒肴の取遣ひはしてはならない。軽く鳥目で互いに取遣り(贈答)すること」と、やはり「取って使う(用にあてる)」に相当します。
「取遣ひ」は、“辞書にない”用語と大騒ぎをしましたが、“マイ データベース”のおかげで、特別な意味はなくて、「取る」と「使う(遣う)」が一緒になっただけ。それぞれの語意は『広辞苑』に詳述されていることがわかりました。それにしても、よくやった“マイ データベース”!、辞書のように説明はありませんが、用例で色々と教えてくれます。

結局、「札場銭相場、今日より壱匁ニ付八拾弐文取遣候様ニ被仰付候事」の記事は、「今日から、銀札場での銀札と銭の両替の交換比率は、銀札壱匁につき銭82文として取り使う(用にあてる)ことにする」と理解することができました。一つの資料だけを材料として判断すると、間違った結論になることがある……。

「堀川町覚書」の記事に話を戻します。表に見るごとく、約2年半の間に、銀札壱匁の交換比率は銭79文から93文に変動しています。
その原因は、藩札の側にではなく、銭の方にあったようです。
「もともと少額貨幣の主流であった銭貨は、明和-天明期(1760〜80年代)の約20年間に鉄銭と四文銭という新種銭貨を、従前発行累計額の2倍近くが供給された。この間の銭相場の下落は当然である」
(『江戸期三貨制度について』 http://www.imes.boj.or.jp/japanese/zenbun98/kk17-3-1.pdf  P71)。

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