パソコンと古文書解読

第27話 古文書を“読む”

 

「古文書を読む」とは、くずし字を“活字”にかえること、または声に出して読むこと、更には、意味を読み取ることまで含まれると思いますが、今回は声に出して読むことを考えてみます。

古文書のサークルで輪読をするときは、当然、音読をしますので、読めないと困ります。

」のような、私にとって初めて見るような漢字でも、辞書で調べさえすれば、「はばき(形が脛巾はばきに似ているからいう) 刀剣・薙刀(なぎなた)の刃・棟区(むねまち)にかけてはめこみ、刀身が抜けないように締めておく金具。(広辞苑)」と、簡単に知ることができます。ところが、固有名詞(特に人名)の読み方には苦労します。

広島藩の郡奉行「筒井極人」のような高官なら、本で調べると「きめと」と解ることもありますが、「日置権蔵」をどう読んだらいいのか。「へぎ」「へき」「ひき」「ひおき」などの読みがあるそうですが、さて、どれがこの人の正しい読みか……、本人(か関係者)に聞く以外にありません。たぶん、和歌山の地名「日置(ひき)」をうけて、そう呼ぶのではないかと思ってはいます。「中江与三左衛門」という名前も、それほど珍しい名前ではないようですが、それでも調べるのは大変です。“困ったときのGOOGLE頼み”とばかり、早速検索すると、

栗田樗堂……同町内酒造家廉屋(かどや)こと栗田家に入夫し、七代目与三左衛門よそうざえもん専助と称し、

とあります。刀工の「与三左衛門尉祐定よそうざえもんのじょうすけさだ)」も見つかりました。(もっとも、「ヨサザエモン」とルビをつけたものもありましたが)。「与三左衛門」だけで検索するより、できれば見当を付けて「よそうざえもん 与三左衛門」で検索する方が能率的でした。
概屋勘兵衛」は、「概斗代(ならしとだい)」「地概(ならし)」などの例から、私は「概屋(ならし)」と読んでいましたが、「それは概屋(とかきや)ですよ」と教わりました。辞書(漢字源)を見ると、「概:とかき。ますの中に穀物を入れて平らにならす棒」と説明し、少々あやしげな図まであります。なるほど、この読みの方が屋号にふさわしいようです。その後、ルビ付きの古文書(芸備孝義伝)に“当り”ました。それには「概屋(ますかき)」とありました。概=斗掻=枡掻。みな、同じ意味です。
また、「田舎の年寄はみな、『権右衛門』を『ごんねもん』と言っていたよ」、という話を大先輩から聞いています。「GONEMON」の発音になるので、さもありなんと思います。

話がそれますが、名前(実名 じつみょう)の読みについて、高島俊男『お言葉ですがF 漢字語源の筋ちがい』に興味深い説明があります。「実名というのは、事実上、書くための名前である。……それをどうよむのかは当人と親族くらいしか知らないということがしばしばある」、と。

このように、今では言葉に出して聞くことも少ない“昔の用語”の読み方には苦労しますが、“今の用語”でも、その読みに困るだろうと心配していることがあります。それは赤ん坊の名前です。実例を挙げるわけにはいきませんが、お婆さんになったとき、そう呼ばれると困る名前はまだ良い方で、初めての人にはまず読んでもらえないような、独り善がりの読みをつけてもらった名前が急増しているように思えます。(この先、日本はどうなるのでしょうか……)

閑話休題、音声は空気を振動させるだけで、消えてしまい、意識的に記録しないと残りません。しかし、どう読んだか、文書の中にその痕跡が残ることがあります。

「他国塩買取候者も有之哉ニ相聞候得共、其実如何可有之歟」

の「相聞」は、「あい きき(他動詞)」と読むのか、それとも「あい きこえ(自動詞)」がいいのか、判断に迷いますが、

「近年蘭学之医師相増、世上ニ而茂致信用候者有之哉ニ相聞へ

の表記から、「あい きこえ(自動詞)」と読んだことが知れます。(このような“痕跡”は気付いたときすぐ記録する必要があります)

近世古文書で“使われる文字ベストテン”に必ず入ると思われる「」をどう読んでいたのか。「又候(またぞろ)」「宜候(ようそろ)」などの例があるように、基本形の「そうろう」だけではないようです。『吾輩は猫である』に、手紙文を引用して「奉願上候(ねがいあげたてまつりそろ)」と出ていますし、「漸くの秋晴を得て上野は大分散策の人を見掛け申(まをし)(そろ)(毎日新聞 1899/10/12記事)と、明治の新聞記事でも「そろ」とルビが付けてあります。(ルビのお陰で読みを知ることができますし、「これで漢字をいつのまにか覚えた」という大先輩の話も聞きます)。江戸時代に通常の文書で「候」をどう読んだか、私は知りませんが、どちらにしろ意味に違いがないので、基本形の「そうろう」と読んでいます。
停止」についても、「ちょうじ」と読もうが、「ていし」と読もうが、どちらも“さしとめること”なので、拘らなくていいのではと思います。ただ、「ちょう‐じ【停止】(チョウは呉音) さしとめること。やめさせること。特に、貴人の死を悼み、歌舞・音曲をさしとめること。」(広辞苑)とあるので、「若殿様御逝去、鳴物停止(ちょうじ)」となるのかなとは思います。

次は、「今度被仰出候御書付之通、町中為心得相知候」です。
「今度出された御書付は、町人には(直接の関係はないが)為心得知らせる」の意味です。「心得の為(のため)」と読んでも、「心得と為て(として)」と読んでも、意味に大差はありませんが、日本語としてこなれた表現は「心得として」だと思います。
同じ文書の異本を比較すると、「御馳走水船出ル」の表記が、別の写本では「御馳走として船出ル」と写されています。

読みの違いが意味の違いに関わってくると、「どちらでも……」といかなくなります。

肝煎・月行司、昼夜切々見廻り、町々火ノ用心之儀可申付候

の「切々」について、私たちの古文書のサークルで、「広辞苑では、【切切】を「せつせつ」と読み、“心のこもっているさま”と説明している。“心を込めて町内を巡視する”という意味だ」といいう説に対し、「巡視に“心を込める”より、“再々(さいさい:度々)”見廻るほうが大切だ。『此節切々風立候間……』の例文もある。『再々』に『切々(さいさい)』の当て字を使うのは、近世文書ではめずらしくないのでは……」という私の説が出て、結局わかりませんでした。
その後、「My Database」で検索してみると、「切々(せつせつ)(しばしば)」(小松茂美『手紙の歴史』)と出ていました。念のため『日本国語大辞典』をみると、「せつせつ【節節・切切・折折】たびたび、……」と丁寧な説明がありました。結局、読みは「せつせつ」、意味は「しばしば」で決り。それにしても、調べの不充分なお粗末な話と、反省することしきりです。

次の例は、「益御安全被成御座」です。「ござなられ」と読まれると、私の“日本語センサー”がピクリと動きます。調べると、「益(ますます)御安全被成御座(ござなされ)(岩波文庫『蕪村書簡集』)と、ルビが正解を教えてくれます。ルビの効能は、漢字を教えるだけでなく、“センサー”を鍛えてくれます。この本のルビは、「余は期拝眉之時(はいびのときごし)候」のように、漢文調で書かれ、送り仮名を略した所も補っています。“書いてない文字”を読むこともあるのです。
蛇足ですが、「古語辞典」は、“【為す・成す】はサ行四段活用(成さ 成し 成す 成す 成せ 成せ)の他動詞。尊敬・受身の助動詞【る】は四段・ナ変・ラ変の動詞の未然形に接続する。「なさる」が変化して「なされ」となる。”と教えてくれますが、面倒です。

もっと混乱しているのは、「□□湊ヘ御網被為入候(いりなされられそうろう)」と読む人もいる「被為」です。
「御沙汰被為(あらせられ)候迄は……」(高砂屋浦舟著『江戸の夕栄』大正十一年四月十八日発行)のルビのように、スッキリとした日本語の読みはできないものでしょうか。「□□湊ヘ御網被為入候(いれなされそうろう)」と読みたいと思います。

辞書で調べる道の開かれた言葉は、まだ楽ですが、辞書に見放され、サイトにも見出せない文字・言葉があります。読みどころか、意味も解らない文字・言葉です。

「ある特定の地方でのみ通用している文字がある。それが『地域文字(方言文字)と呼ぶべきものである」(笹原宏之『日本の漢字』)

として、広島藩で使われていた「(かづき)」を説明しています。たしかに、この字は大漢和に載せてはありますが、資料の文意に合いません。“地域文字”と診断されて、安心したような変な気分ですが、広島では、その読みも意味も、地方史に興味を持つ人には知られています。

これも“地域文字”かと疑う言葉に、

右御貸銀返上、明和四年より御甘メ之分、今年より取立ニ相成候事

があります。
「藩からお借りした銀の返上について、明和四年から御甘メになった分も、今年から元通り取り立てることになった」の文意と考えられます。もう一例、

御取替米、舟越村松石新開御貸銀返上残御振替御貸米とも、当戌暮年賦前段之通村々取立速ニ返納可仕筈ニ御座候処、兼々御承知被為成下候通、当年度秋水風両難稀之凶作仕候ニ付、小内取立之業相叶不申、依当暮壱ケ年返上方御甘之義、村々一同歎出申候ニ付」。

これも「凶作により御貸銀返上のための徴収が困難なので、今年分の返上は御甘メくださるよう、村民一同が歎願しているので……」と読めます。「御甘」をどう読むのか、意味はなにか。辞書は頼りになりません。解説も読んだことはありません。
「送り仮名として『め』が付き、文意に合う適当な言葉を考えなさい」と言われると、「緩め(ゆるめ)」しか思いつきません。
辞書に載ってないのなら、多くの例文を集め、自分で辞書を作る以外にはありません。

そこで、「My Database」で調べました。19世紀初頭に記された広島藩の地方書「芸備郡要集」(別名「理勢志」)に次の記事を見つけました。

甘キ を以御免御上ケ候共、 村々申分無之、御為に可相成  との見込(芸備郡要集)
ゆるきを以御免御上ケ候とも、村々申分無之、御為ニ可成候事との見込(理勢志)

一本は「甘キ」と書き、異本は「ゆるき」と読んでいます。予想どおり、「」は「ゆる」と読み、「」に相当することが解りました。

転写に転写を重ねて伝えられてきた本や文書の、“伝言ゲーム”のような不正確さには、日頃悩まされるところですが、写す人が無意識に(不注意で)書き換えた個所からヒントがもらえるとは……、“間違い”も捨てたものではありません。

(【注】 荒れ地で収穫はなく納入できないであろうから、村の責任において納入せざるを得ないこととなる。そこで全農民に持ち高に比例して割り当てて納入するという方法がとられた。このような方法をという。)

 

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