パソコンと古文書解読

第26話 漢文に「挑戦」

 

「天声人語」(2014年2月23日)に「異字同訓」の記事があります。

「たとえば怪しいは「疑わしい、普通でない、はっきりしない」。妖しいは「なまめかしい、神秘的」。ほかにも恐れると畏れる、香ると薫る、など興味が尽きない▼日本語の豊かさと難しさを改めて知る。………」

日本語では、単に「あやしい」というだけですが、漢字では「」「」と使い分けています。これは、日本語ではなく「中国語の豊かさ」を示すもので、記者の誤解です。
「敗北」という言葉があります。「負けること」と丸覚えで理解していますが、なぜ「敗」なのか、私たちは考えようともしません。漢和辞典で調べると、「北=にげる」とあります。「敗北」は「漢語」です。漢文で使われた言葉が輸入されてたものです。漢文の断片を日本語だと勘違いして毎日使っています。

地方史を調べようとすると、古文書の知識が必須なのは勿論のことですが、漢文も読めないと困る事があります。石碑や学者の文章などは漢文で書かれていることが多いからです。

町史などには、碑文が「原文」のまま載せてあるだけで、なぜか読下し文はあまり見かけません。そのため、書かれた内容はまず解りません。「原文」のまま載せてあるのは、それでもまだ許せますが、現地で碑文と比べてみると、誤植・脱字・誤読があり、しかも、他の資料からのカンニング(孫引き)とわかるような、ひどい例も珍しくありません。

いま、私の読んでいる『鶴亭日記』の筆者、野坂三益さんは日記を漢文で書いています。その中に、次の記事があります。

行診蒲刈嶋永浜恭順夜二更到蒲刈嶋主多賀谷八十郎家

これには、返り点・送りがなもなく、句読点すらありません。私の漢文の教科書、『漢文の読みかた』(奥平卓著、岩波ジュニア新書)によると、「白文を見てそのまま日本語に読みくだすのは、よほど漢文に熟達した人でなければ困難」で、「わたしたちが学ぶ漢文は、通常この訓読文(訓点をつけた漢文)」であると書かれています。たしかに、むかし、高校で習ったものは訓読文でした。

そのため、私は、「漢文には訓点がついているものだ」という誤解をしてしまいました。上記の文章を見て初めて、「本物の漢文には返り点・送りがながなく、句読点すらない、外国語である」と実感し、先人が苦労して訓点を付けた(日本語化した)ことに気付く有様です。返り点・送りがなの付いた「漢文を読む」とは、実は半分以上日本語に翻訳されたものを読んでいるに過ぎないことになります。訓点の付いていない石碑や学者の日記を読むためには、自分で訓点を付け(日本語に翻訳し)なければなりません。

外国語に「記号」を付けて日本語化するという「漢文訓読法」は「偉大な発明」かもしれませんが、それにしても奇妙なやり方です。英文に返り点を付けてみると、こうなります。

I am2 a boy1.

返り点を強調すると、「言葉は文章の頭から順に理解を進める」という大原則を忘れてしまいます。返り点のついてない文章を見ると、「漢文は、やたらとひっくり返って読む」という“強迫観念”のため、不必要に読む順をかえて、結局、何が書いてあるのか解らなくなります。
そこで、「言葉は文章の頭から順に理解を進める」、これを私の『漢文の読みかた』の第1方針としました。(勿論、日本語の文章にするときは語順は変ります)。

「漢文は外国語であり、それを『読む』とは、日本語に翻訳することである」とするなら、訳す人により訳文に少しの違いがあるのは当然です。「I am a boy.」 を「私は少年です」としても「僕は少年だ」と訳してもかまわない……と居直る。これが私の『漢文の読みかた』の第2の方針です。(本当は漢文訓読調を身につけたい……)
ご存じの「杜子春伝」に次の文があります。腹をすかせた杜子春が長安の町をさまよい歩いていると、一人の老人が現われ、三百万の銭を与える約束をして、袖の中からを一貫(ひとさし)取り出して、言います。「給子今夕明日午時候子於西市波斯邸」と。ある本ではこれを、「子に給へん。今は夕なれば(今は夜だから)、明日の午時、子を西市の波斯邸に候(ま)たん。」と読んでいますが、別の本では、「子の今夕に(今夜の費用として)給せん。明日午の時、子を西市の波斯邸に候(ま)つ。」としています。これは翻訳の違いというよりも解釈の違いですが、それにしても「答」が二つあるので嬉しくなり、「漢文を読むとは、日本語に翻訳することである」との感をますます強くします。

この2つの方針のもと、先の漢文を読んでみました。

行診蒲刈嶋永浜恭順夜二更到蒲刈嶋主多賀谷八十郎家

筆者の野坂三益さんは、お医者さんですから、
」って「」察する、「蒲刈嶋」の「永浜恭順」さんを。「」の「二更
(今のおよそ午後9時から11時)」に「」着し、「蒲刈嶋主多賀谷八十郎」の「」に……。

まともな日本語にはなりませんが、頭から順に理解すると、なんとか、意味がとれそうです。
ただ、しっくりしないのは「嶋主」なる語句、庄屋さんはいるにしても、「嶋主」とは聞いたことがない……。
「主」を漢和辞典で調べると、ありました。「主=シュたり。{動}客となってやっかいになる。」
    そこで、変更して、「二更
」に「」着し、「蒲刈嶋」に。
    「」たり、「多賀谷八十郎」の「」に。

行きて、蒲刈嶋永浜恭順を診る。夜二更、蒲刈嶋に到り、多賀谷八十郎の家に主たり。

このように、読下し文をでっち上げましたが、「正解」と比べることができないので、正しく読んだのか、全く自信はありません。

そこで、まず、「正解(模範的な読下し文)のある「漢文」を教材にして勉強することにしました。
《困難を分割せよ》という文句はデカルトの言葉だそうですが、「漢文に挑戦」という“困難”をできるだけ分割して、具体化した「私の勉強法」はこうです。

@ 教材とする漢文を選びます。

内容の抽象的なもの・理論的なものは、読下し文でさえ理解がむつかしいので、これは敬遠します。
「殺した」とか、「逃げた」とか、解りやすくて面白いものが適します。『史記』なら、内容も面白く、解説書も沢山出版されているし、「原文」もインターネットで入手できます。私はこれを選びました。
テキスト
(本)は、原文(返点のないもの)・読下し文・現代語訳・解説がそろったものを使います。『中国古典選 史記』(田中謙二・一海知義、朝日新聞)が好都合でした。これを手本にして、段落毎に、「原文」・「私の読下し文(解読文)」・「文字の辞書解説(語釈)」を並べてテキストファイルに作成する作業(=私の漢文の勉強)が始まります。

A 原文をテキストファイルに取込みます。

漢文は、本を見ながら原文をタイピングをするような、面倒なことはしません。「読んde!ココ」(OCR)を使っての取込みもしません。「原文」はインターネットで取込むに限ります。(「史記卷八十六」で検索するだけで「刺客列伝」がすぐ見つかります。) 楽な上に正確です。
これは「原文」ですから、「繁体字」や「簡体字」で表記してありますが、電子辞書を使うには必ず「新字体」に変換しなければなりません。そこで「全文」をコピーして、漢字変換道具 [JavaApplet版]」のサイトで「新字体」に変換してもらいます。Unicodeにも対応しているので大助りです。これを「全文」コピーして、テキストファイル(Unicode)に取込み(貼付)ます。
これを、テキストの「原文」をもとに「校正」します。正しく変換されていない文字も少しは見られますが、「置換」すれば、まとめて訂正できます。

B 原文を3つ準備します。

インターネットから取込んだ原文なので、勿論「返り点」は付いていません。「句読点」はありますので、ありがたく使わせてもらいます。テキストに合わせて、段落に区切ります。
段落毎に「原文」を3つ並べます。1つは参照用の「原文」として、もう1つは「解読文の下書」としてこれを“加工”します。3番目は「文字の辞書解説」用として使います。難しい漢字を入力しなくてよいので大助りです。
「解読文の下書」は、当然、語順が変ります。そこで、差当たり消したい文字を範囲指定して「Ctrl+X」(切取り)し、移動させたい所にカーソルがきたとき「Ctrl+V」(貼付け)します。(この一連の操作をCtrl+Lで済ませてしまうキーボードマクロを作れば大変便利です。「CLISM64」・「KeySwap」などのフリーソフトも活用します。メールを頂けると、私の実例をお知らせします。誰でもできます。)
「文字の辞書解説」は辞書に当る所だけ使います。

C 辞書を引く準備をします。

漢文の自習で最有力の武器は電子辞書です。その辞書の引き方こそがポイントだと考えています。
前述の「到蒲刈嶋多賀谷八十郎家」で、「主」を「ぬし」と考えて解読に行き詰り、辞書を見て「しゅたり=客となってやっかいになる」と解って、納得したお話をしました。私の漢字の知識で思い浮ぶのは「ぬし・あるじ」だけなのに、辞書(漢字源)では11通りもある!

《意味》
@{名}あるじ。所をかえて転々と寄留する者を客というのに対して、ひと所にじっととどまって動かない者を主という。「家無二主=家ニ二主無シ」〔→礼記〕
A{名}霊魂が宿るしるしとして、じっとたてておくかたしろ。位牌イハイ。「尸主シシュ(かたしろ)」「木主ボクシュ(木の位牌)」
B{名}君主の略。「人主」「主上」
C{名}ぬし。所有し管理する人。「田主」
D{名}あるじ。団体や組織の中心となるリーダー。かしら。「盟主」
E{名}キリスト教の神。「天主」
Fシュタリ{動}客となってやっかいになる。主賓のあつかいを受ける。「主司城貞子=司城ノ貞子ニ主タリ」〔→孟子〕
Gシュトス{動}その物事の中心として尊ぶ。「主忠信=忠信ヲ主トス」〔→論語〕
H{動}つかさどる。中心となって処理する。「主其社稷=其ノ社稷ヲ主ル」〔→左伝〕
Iシュトシテ{副}おもに。「主由此=主トシテ此ニ由ル」
J{形・副}おも。おもに。中心となって切り回したり、考えたりするさま。「主宰」「主張」

解らない字を引くのは当然のことですが、「解っている」(つもりの)字こそ引く必要があると痛感しました。結局、全ての字を調べることになります。何回も出てくる字でも、その都度引きます。そのうち、少しは頭に残るものがあって、引かなくても読める日が来る?……かもしれません。
それはともかく、「漢文を読む」=「辞書を引く」作業ですから、紙の辞書では時間がかかりすぎます。絶対、電子辞書のものです。
最初、『漢字源』(電子ブック EB)を使っていましたが、仮名でしか検索できないので、EPWINGの『漢字源』に替えたので問題なく漢字表記の検索(必須)ができます。『漢字源』は『学研漢和大字典』が基になっているようで、文例もあり文字の解説が丁寧で、大いに参考になります。(熟語を調べるときだけは諸橋『大漢和辞典』の出番です)
漢字源』を読むソフトは「DDwin」です。このソフトは、「クリップボード経由自動検索」ができるので、「検索漢字」1字をコピーするだけで、タイピングの必要はありません。
「DDwin」の「オプション」→「他ソフトからの検索」画面で、「クリップボード自動検索」を「行う」にし、「動作」は「検索をおこなう」ことにします。(残念ながらUnicodeには対応してないようです)
盛んに1文字をコピーしますので、この操作を省力化します。私は、「キーボードマクロ」で「1文字コピー」をつくり(第11話参照)、「キーカスタマイズ」で「Ctrl+E」のキーに割当ているので、これを押だけで「1文字コピー」ができます。
エディタから「DDwin」に画面を切替えるのも、マウスは使わないで、ショートカットキー(「Alt+Tab」)を使います。切替えると、そこにはもう「答」が出て待っています。

D 辞書を引きます。

「主」を引くと、11通りの答がありました。品詞を考えながら、文意に叶う番号のものを選択します。ここでは、Fを選び、例文までもコピーして、エディタに帰り(「Alt+Tab」)、【】の後に貼付けます。例文まで読んで参考にします。(【】の中の見出し漢字は、DDwinに移る前に入れておきます)

E 読下し文を考えます。

何文字か調べると、意味が浮び上がってきますので、「解読文の下書」に少し手を加えます。
それでも五里霧中なら、テキストの現代語訳を読んで、あらすじを理解します。
そうしてもまだ判然としないのなら、テキストの該当箇所の「読下し文」をチラと「カンニング」します。さすが専門家の翻訳、見事な訳文です。「習うこと」は「真似をする」ことだと思いますので、早速、取入れます。読めないところはサラリとかわして、「いつかは読めるようになる」だろうと考えます。「七十の手習い」ですから、覚えようとしても無理です。慣れるようにと……何回も繰返します。

F 訳文の点検をします。

一段落の読下しができたら、「正解」(テキストの読下し文)と細かく対照します。この作業で自分の癖や弱点がわかります。

以上の作業を繰り返します。辞書や「テキスト」の読下し文が私の先生です。『漢文語法ハンドブック』(江連隆)が知識を整理してくれます。“メル友”ならぬ“メル同級生”の存在も大きな力です。

  

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