パソコンと古文書解読

第19話 くずし字辞典

 

「くずし字辞典」の話です。
私の使っている「くずし字辞典」は『くずし字用例辞典』(児玉幸多編、東京堂出版)です。いつもお世話になっています。私の古文書の先生です。古文書を始めたばかりの人から「どの辞書がいいですか」ときかれることがあります。どれがいいのか分りませんが、私はこの本が気に入っています。文字数が多いからです。

「くずし字辞典」を買った人から、「あまりの字の多さに目がくらくらする」との感想を聞きました。私も「こんなに沢山の字を覚えられるだろうか?」と心配したことを思い出しました。

これは誤解です。中学校に入学した子が漢和辞典を買ってもらって、その字の多さに絶望することはありません。大人でも同様です。辞書の字は調べるためにあるので(だから多いほど好都合)、覚えるためにあるのではないことを知っているからです。

次の文は、ある文書の一部です。

 「元七持馬、其御村勘四郎方へ夜中牽取候一件」

と読みましたが、問題は「」の字(右図上段の字)です。

サークルで議論すると、「取」「取」「取」などの、色々な読み方の候補が出ました。『くずし字用例辞典』(右図下段)で比べてみると、いずれもそれらしい雰囲気は持っていますが、くずし字辞典だけでは簡単には結論が出せません。

意味から考えてみると、馬を盗み取ったのだから、文字通り「乗取」か、それとも、綱をつけて引くから「牽取」か、楽々と取った?から「楽取?」か、いずれにしても、判然としません。

私は「牽取」だと思います。「辞書中のの、どの字体にも同じものはない」との反論は、その通りですが……。

古文書の勉強をしていると、印刷された活字の有難さを痛感します。活字の「牽」の字は牽であり、異議のはさみようがありません。
これに対し、手書の文字はバラエティに富んでいます。くずしの程度により、筆順までが違い、色々な字体になります。その上、書く人により個性が出ます。同じ人が書いても、時と場合により字体が違うのは経験するところです。それに誤字まで加わると、数え切れないほどの「牽」の字があることになります。くずし字辞典の編集者は、それらの中から典型的な字体を数例載せているに過ぎません。

辞書をそのように見ると、同じ字体の文字があれば、「その字である」と結論を出しますが、字体が完全に一致しないからといって、「その字ではない」と決めつけることはできないことになります。
小学生の漢字の書取りテストで、「月」の字を書くとき、1画目の終り(左下隅)は「はらう」、2画目の終り(右下隅)は「はねる」のが正解でしょうが、両方とも「とめ」てあっても、平気で「月」と読みます。「月」の字の特徴的なところさえおさえてあれば、「日」と間違うことなく読みとります。私たちが「くずし字辞典」を利用するときも、細部にこだわらず、その文字の特徴的なところを読みとる必要があると思います。もっとも、どれが「細部」で、どこが「特徴的」かを判定するのが一苦労ですが……。

次に、用例から考えてみます。古文書から「牽」の用例を抜き出してみると、

「六月晦日ニさハらひト申、家別之牛ヲ出し、礒潟へ連レ参りあらひ清メ申候」
「盗賊召捕郡中懸り合無之分ハ直ニ広島町方へ出し」
「牛馬ちがへ無之様に、先払之者え可申付候」

の例が見られます。いずれも「綱をつけて引く」意です。

どう読むかが問題になる字は、どこか癖のある文字です。それだけに、一筋縄ではいきません。「くずし字辞典」だけ(文字だけ)にこだわっては読めません。文字・文意・用例(言回し)など、総動員して総合的に解読する必要があると思います。私の総合判定は「牽取」です。

余談ですが、私の使っている『くずし字用例辞典 普及版』の索引は、使っている活字が小さく、老眼鏡をかけただけでは読めず、拡大鏡を使っていました。「くずし字辞典」では索引が頼みの綱なのに……。 そこで、索引を拡大コピーして、別冊にしたら、すこしは楽に使えるようになりました。

「くずし字辞典」の索引は、本来は「くずし字」から「活字(楷書)」を特定するためのものであるべきなのに、それが技術的に困難なため、逆に「活字」から「くずし字」の在処を教えるものになっています。読めないくずし字があれば、部首を手がかりにして本文に当るしかなく、「音訓索引」を使うのは、見当を付けた読みで確認するためのものになっているのは仕方がないことかもしれません。

それにしても、引くのに手間の掛る「索引」です。「漢」の字を調べます。読みで漢字が配列してあるので、「カン」の見出しを見つけて「漢」の字を探します。「カン」の字の多いこと! やっと616頁と知れます。次は本文を繰って……616頁へ。

「漢」は「カン」と読むと知っているのでたどり着けましたが、「侃」になると何と読むのか知りません。そこで、もっと簡単に調べられないか。たとえば、「侃」と手書入力すると、パッと「50頁」と表示するものがほしい……そう考えて、辞典の本文から漢字を拾い「くずし字用例辞典漢字索引」(PDF)を作りました。自分が読めない、知らない文字でも(Unicode文字でも)、「手書入力」さえできれば記載の頁数をしることができます。

今は、「くずし字用例辞典」全文をスキャン、PDFファイルにして、(Adobe Acrobatを使って)該当ページにその文字を埋込み、検索するといきなり目的のくずし字にたどり着けるようにしました。

 

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